諏訪大社の御柱祭の起源はどの祭より古く、日本書紀に1500年前の記録が記述されている。全国に1万社以上在る諏訪神社の本家筋に当たる『信濃の国一の宮』諏訪大社の式年造営が7年毎に行われる。平安時代の記録に残るこの催しは、七年毎の寅と申の年に行われ、山麓の6市町村20万人の氏子が参加する。神殿の四隅に建てられる御神木は氏子達が御神木となる樅の木の見立て、伐採、山出し、里曳き、建柱の行事をすべて一年がかりで行う。4月、5月の2ケ月間は熱狂的な山麓の氏子達であふれ豪快な祭典絵巻が繰り広げられる。諏訪大社は上社、下社からなりその上社に前宮と本宮、下社に春宮と秋宮とがある。上社は御神体を背後の守屋山としており成立は1500〜2000前とされている。下社の御神体は御神木とされ、それを祀る御神座が7年毎に新たに造営される。
項 目 日 程 概 要 説 明
1 用材仮見立て
2002年9月
諏訪大社下社(下諏訪町)が、町内の東俣国有林で行った2004年の御柱祭の用材を選ぶ仮見立て―。岡谷、諏訪市と同町の3市町の氏子らは3年後の大祭に向け、見立てたモミの巨木の下から、木遣(や)りの声を山中に響かせた。
2 用材本見立て
2003年6月
北佐久郡立科町芦田八ケ野の町有林で行われた諏訪大社上社の御柱候補を決める「仮見立て」。平日ながら、諏訪地方の氏子ら約千人が集まった。
3 用材伐採
2004年3月
御柱に使われる用材は、下社では八島高原に近い束俣国有林から切り出される樅(もみ)の木の大木である。御柱の3年前に仮見立て、2年前に本見立て、前年に伐採される。4本の柱の長さは、一の御柱が五丈五尺(16,7m)で「以下五尺落ち」と言われ、二の御柱は五丈、三の御柱は四丈五尺、四の御柱は四丈と、五尺ずつ短くなる。
4
山出し
2003年4月2日
諏訪大社御柱祭の開幕を飾る上社山出しは2日、茅野市と原村境の綱置場(つなおきば)を出発し、同市宮川安国寺の御柱屋敷まで12キロ余を、氏子たちの人力で2―3日かけて曳行(えいこう)する。上社の御柱は、柱の前後にV字型に付けるメドデコが特徴。残雪の八ケ岳を背景に、メドデコに乗った若者がおんべを打ち振り、曳行を華やかに彩る。
 8本の御柱は、先頭を行く「本宮一」が御柱街道と八ケ岳エコーラインの交差点近くに置かれている。続いて綱置場に向かって「前宮一」「本宮二」「前宮二」…の順に約3百メートル間隔で安置され、最後尾の前宮四が綱置場に置かれている。
4 木落とし

諏訪大社上社御柱祭で木落としが行われる茅野市宮川の「木落とし坂」で27日、茅野市木遣(きやり)保存会が木遣(や)りを披露した。市が一帯で公園整備を計画し6月にも着工するため、木を落とす地点は、次回2010年の御柱祭から、20メートルほど東に移る。長年使われた坂に感謝をしようと、20代から70代までの会員13人が集まった。 市街地を一望する坂をお神酒で清めた後、一人一人が坂の上に立ち、「木落とし ご無事でお願いだー」などと歌い、おんべを振った。伊藤源一会長(73)は「再来年の本番で美しい声を響かせるよう練習に励んでいく

5 川越し

上社山出しのラストイベントである。茅野市中河原と安国寺の境にある、幅約40mの宮川を越える。4月頭の水温は雪解け水のため限りなく低い、その中、御柱を曳く綱を渡し、川を越える。2004年、前宮四之御柱の川越しは、日没後、雪が降る厳しい状況で行われた。川越しを終えるとすぐに御柱屋敷であり、里曳きまでの1ヶ月間安置される。上記の木落しと川越しは場所が広く、見せ場でもあるために曳行用の片側7〜8人乗りのメドてこではなく10〜12人ほど乗れる大きなメドてこに付け替える地区も多い。しかしその巨大さ故に衝撃で折れるなどの事故もしばしば発生する。

7 里曳き
2004年5月2日
諏訪大社御柱祭の後半を飾る上社里曳(び)きは5月2日から3日間の日程で行う。「木落とし」「川越し」の勇壮さが特徴の山出しとは打って変わり、騎馬行列や長持ちなどの出し物も加わって華やかな曳行(えいこう)を展開。3日に上社前宮(茅野市)、4日に上社本宮(諏訪市)にそれぞれ4本の御柱が建てられる
8 建て御柱 諏訪大社御柱祭の上社里曳(び)きは4日、茅野市宮川安国寺の前宮と諏訪市中洲神宮寺の本宮に4本ずつの御柱を建て終え、3日間の祭りの幕を閉じた。新緑の境内は勇壮な建て御柱を見る人が鈴なりになり、見物客は3日間合わせて40万人余になった。

木落とし

木やり

ボタンをCLすると5sec間隔のスライドショーが始まります

上社前宮

NEXT
諏訪大社御柱祭
戻る
TOP
NEXT

諏訪大社御柱祭

御柱